2012年4月27日金曜日

フレッド・ブラッシーと対立の話

昭和のヒールレスラー、フレッド・ブラッシー(噛みつき攻撃で有名)はプライベートでは元より非常に紳士的だったとか。
という次第で、初めてリング上の彼を観た母親がショックを受けて曰く 「普段の優しいお前とリングに居る時のお前、どちらが本当なんだい?」
それに対し息子答えて曰く「どちらも本当ではない」

等という話を以前NHKで聞いた覚えがあります。

物事の本質というのは往々にして、対立する何らかの間に生ずる距離感に宿っているものと思われます。
陽気と不機嫌が混在する、と評されるベートーヴェンの音楽や、正しさと奔放さが両立するバッハの音楽等、善い例ではないでしょうか。

話を戻すと、本当は紳士的なフレッドさんがパフォーマンスとして公の場では悪役を演じている(或いはその逆)という事ではなく、紳士的な人間が或る時点に於いて悪になり、そこが(彼の母親の質問に答える上で)とても重要、という気がします。

対立というものは混乱を生じさせる事もしばしばですが、排除するよりも受け入れる姿勢を持つ事でその対立間に言葉で説明し難い―そして、時に何か本質的な―ものを見付ける事ができそうです。 (中野)

2012年4月12日木曜日

後期ベートーベンと俳句について

近頃、後期のベートーベンをよく聴きます。
「運命」や「田園」に代表される中期の作品(いわゆる名作の森)と比べると、深みはあるもののやや入り難い―等と感じていたのですが、後期の弦楽四重奏を聴いているとそこに俳句でいうところの“切れ”に当たるものがあると感じました。
つまり

夏草や兵どもが夢の跡

ではなく

夏草や 兵どもが 夢の跡

という事ですね。

頭の中で一つイメージが浮かぶ事で、急にすっとピントが合う様に何かが理解できる事があります。(中野)