2014年11月3日月曜日

歌う際に

 僕事欧米生まれのロックミュージックを日本語で歌うという事を10年来の宿題としてやってきた訳ですが、ここで1つ身に付いたことをまとめてみようと存じます。

 まあ、以前にも書いたように思いますが言語にはキャラクターがあり、ロックミュージックにそのまま日本語をのせてしまうと言葉が感情的にべったりとなり、表現として成立しない訳です。

 そこで必要となってくるテクニックが―

①歌詞を口語的にせず、どちらかというと書き言葉的にする事により、歌の内容と自らとの距離をとる事。

②表現手段というよりも発声の技術というところで歌う事。
(つまりは身体機能そのものに意識をもっていく事で自己表現的な流れを作らせず、声を嗄らせて歌おうと「熱苦しい」感じにならない訳です)

 これはどちらも自己というものを消し去る為の技術と言えます。

 ただ、終始こんな風に歌っているとあまり楽しくはありません。

 ピアニストのグレン・グールドさんが『表現者の本能は足し算をする事にあるので、引き算の表現はそれよりも難しい』といった事を言っているのを見た記憶があります。
 上記の、自己を消し去る引き算の技術を1つの型と捉え、その型の中で本能のまま足し算を致す、その引き算と足し算「型」と「本能」のせめぎ合い―或いは余分な自己を消し去ればこそ、本能が正しく機能する―というところに僕自身のスタイルはあるようです。

といった次第にて、宿題には何だか当たり前の答えが出そうです。(中野)

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