前回の続き。
江戸時代の浮世絵~明治の頃の写真迄、様々な作品や資料から日本橋を見ていこうと云う特別展示が、現在江戸東京博物館にて開催されています。
普段浮世絵を見に行く時は作者ごとの展示が多いので(国芳展とか広重展とか) 、一人の絵師の世界に入り込んでいく事となりますが、今回は複数の絵師による作品が一堂に会している為、図らずもそれぞれの作風の違いが目につきました。
改めて広重って良いですね!
何て云うか、シレーっとしています。すぐ近くに居ながら、同時にとても遠い所から物事を見ていると申しましょうか。目の前にあるリアルな視覚情報を既に歴史の一項として捉えていたのだと思わせます。
蛇足ですが、僕にはこの感覚が歌う際に不可欠なものと感じられます。これはヴォーカルスタイルに起因するのですが声を嗄らして歌うとなると、あまりに「熱く」なりがちなので(特に日本語にはその傾向が強いです)、その際は自分の中にシレーっとする余白の様なものを残しておかなくてはいけません。
ノヅ氏の言葉を借りるなら「客観性」と云う事になります(氏はいつも上手い言葉を選びます)。
話を戻し―浮世絵には往々にして、作者の視点を感じさせないだけの「客観性」があります。その要因の一つは遠近法を用いない事にあるのでしょう。
遠近法は視点を一箇所に定め、そこ(つまりは作者の立位置)から見える物を描く―と云う事になるのでしょうが、浮世絵の場合よくよく見ると一箇所の視点からは見られない物が細部に描かれています(例えば瓦屋根や板塀一枚一枚の幅が、どこまで行っても均等に見えていたり)。そんな絵を前にしていると、確かにそこに居るのにも関わらず、どこに立っているのか分からない、あの世からこの世を眺めている様な感覚があります。
そして広重の絵からは取り分けそれが感じられます。
出口付近にて。そもそも特別展示のタイトルが「日本橋」なのにも関わらず―なんだかこの展示は日本橋ばかりだったね―等と云う感想を漏らしたのは私です。
コンセプトを理解しないばかりか、思いを至らす事もなく見てしまった次第ですが、 常設展示と併せ大満足の内容でした。(中野)
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